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「唐入り」についての私見 [戯言(歴史)]

某SNSの投稿で充分説明できなかったことを、この場を借りて補足説明します。

発端は、島津・大友・立花・小西・小早川など西国の武将・大名を主人公とした大河ドラマが何故作られないのかという問いかけ。

これに対する私の答え:「「唐入り」で武功をあげた西国の武将を主役とするのはNHK的にNGだから。」

つい最近も、第二次世界大戦終了時点でまだ存在しない国を日本が「侵略」したと生放送で局アナが発言するほど、朝鮮半島に対するNHKの「忖度」というのは目に余るものがあります。

まあ、それはともかく、文禄と慶長の二度の「唐入り」の大きな違いの一つとして私が指摘したいのは、「小早川隆景」の存在・不在の違い。

文禄の役では、小西行長の停戦合意以降、李舜臣率いる水軍に制海権を握られ、戦局が不利になった西国武将たち率いる連合軍。

漢城(今のソウル)を死守すべきか否かで意見が大きく分かれたのを、「攻撃する振りして撤退」と進言したしたのが、病身の隆景。

その後の撤退戦において、乱れがちな統率をなんとか堅持して、本国へと帰還させた智将ぶりは、評価されてしかるべきでしょう。

さて、慶長の役。

まず、文禄の役で朝鮮半島を統治することのリスクの大きさ・コストの高さの身に染みて知った西国の諸将たち。

折角、秀吉の天下統一により平和が戻り「豊かな社会」が実現できるかと思いきや、不慣れな海外戦線に駆り出され、領地は荒廃。

初めからなんとなく漂う厭戦モード。

この戦の総大将は隆景の養子・小早川秀秋。

なんたる皮肉なめぐり合わせ。

隆景はと言えば、参戦することなく開戦の年(1592年)6月に死を迎えます。

黒田官兵衛が軍監として秀秋らを補佐したとは言え、大局に立って戦況を判断し的確に行動に移せる智将・小早川隆景の不在。

嗚呼、この「大いなる不在」よ…


注記:基本、過去の戦争、それも数世紀も前もの戦役を、現代の倫理観でのみ評価してはならないと考えております。
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