細野晴臣さんの無印良品BGM [戯言(音楽)]
YMOを特集した1時間番組が英ネットラジオ局NTS Radioにて配信
YMOに関しては、1978年のデビュー直後からNHK-FMなどで聞いてはいました。
だけど、最初の印象は「いまいち」でした。
まあ、高校生だった当時の私は、「クラフトワークなんぞは生ぬるい! カン、ノイ! クラスター、ハルモニアを聴いてこそ、真の電子音響ロックファン!」なんて、四国の田舎町で粋がって独り悦に入っていた「面倒かつ痛い奴」でしたから…
四つ年下の弟君は、そんな高二病発症中の兄とは違って、「良いものは良い、悪いものは悪いと」と公平に判断できる常識人だったので、早くから注目していました。
坂本龍一『B2 UNIT』(1980年)も公平かつ明大な弟君から教わったぐらいでしたから、ああ恥ずかしい。
本気で聴き始めたのは『テクノデリック』(1981年)からかな…
1981年発売の『BGM』『テクノデリック』の二枚は、今でも愛聴しています。
でも、本音を言うと、YMOそのものより、メンバー三人のソロ、ユニット、コラボレーション、プロデュース作品群の方が大好きです!!
YMOに限らず、海外から日本の1980年代電子音響作品(テクノ・アイドル大好き!)に光があたるのは大変好ましいことです。
と言うのも、この国の音楽業界を支配している(?)「はっぴいえんど~YMO史観」に対して、海外からなら別な切り口で日本のポピュラー音楽史を再評価できる可能性があるからです。
(五十路になっても相変わらず「面倒かつ痛い奴」ですね、私は…)
そんな軽度のYMOアンチで、だがしかしソロ作品などは大好きな「面倒かつ痛い奴」の私が、上記番組に注目した訳、
それはスバリ、1曲目の選曲です!!!
HAROUMI HOSONO:Muji Original BGM
細野晴臣さん最初期のアンビエント作品です。
いや、素晴らしい!!!!
選曲者のAnuさんが、どのような経歴の持ち主なのかは、まったく存じ上げません。
でもでも、細野晴臣さんの数多い楽曲の中から、まずこの曲をセレクトしたセンスには脱帽です!!!!
タイトルから分かるように、この曲は発足直後の「無印良品」の店内BGM用に制作されたものです。
無印良品の店内BGM楽曲は、1984年9月発売のカセットブック『花に水』(冬樹社)として発売されています。
でも、でも、この「Original BGM」は収録されていません!!!!!
(ネット上であたかも収録されているかの如き記述が散見されますが、間違いです、残念!)
この曲が晴れてCD化されたのは2000年6月です。
無印良品の店内BGMを収録した三枚組アルバム『MUJI BGM 1980-2000』
このオムニバスアルバムのディスク!・トラック1に収録されています!!!!!!
やった~~~!!!!!!!
このCD発売以降、無印良品は店内BGMをシリーズ化し、今や20枚を超えています。
ただ、残念なことに、このアルバムは無印良品CDシリーズの中で唯一廃盤なんです(涙)
無印良品は「MUJI」ブランドとして海外展開しており、とりわけ英国での評価が高いようですね。
ただ、色々と調べてはみましたが、このCDが海外で発売されていたかどうかは分かりませんでした。
【参考】Various – BGM | 1980 - 2000@Discogs
ロンドン在住のAnuさんが、どのような経緯でこの曲の存在を知ったのか、とても興味があります。
そして、何故この曲をYMO特集の第1曲目に選んだのかも。
【補足】
細野晴臣さん一連の無印良品BGMでソフト化されている4曲
1.「Talking」(『花に水』A面)
2.「Growth」(『花に水』B面)
3.「Original BGM」(『MUJI BGM 1980-2000』収録)
4.「Talking -BGM Ver.-」(『MUJI BGM 1980-2000』収録)
【補足2】
細野晴臣さんの一連の無印良品BGMの中で最も好きなのは、『花に水』B面収録の「Growth」です。
【追記】
私が1984年当時に西武百貨店などで聞いた記憶があるのは、この曲だけです。
カセット・CD収録の他の曲を店内BGMで聞いた記憶はないんです…
TALKING カセット版 細野晴臣
YMOに関しては、1978年のデビュー直後からNHK-FMなどで聞いてはいました。
だけど、最初の印象は「いまいち」でした。
まあ、高校生だった当時の私は、「クラフトワークなんぞは生ぬるい! カン、ノイ! クラスター、ハルモニアを聴いてこそ、真の電子音響ロックファン!」なんて、四国の田舎町で粋がって独り悦に入っていた「面倒かつ痛い奴」でしたから…
四つ年下の弟君は、そんな高二病発症中の兄とは違って、「良いものは良い、悪いものは悪いと」と公平に判断できる常識人だったので、早くから注目していました。
坂本龍一『B2 UNIT』(1980年)も公平かつ明大な弟君から教わったぐらいでしたから、ああ恥ずかしい。
本気で聴き始めたのは『テクノデリック』(1981年)からかな…
1981年発売の『BGM』『テクノデリック』の二枚は、今でも愛聴しています。
でも、本音を言うと、YMOそのものより、メンバー三人のソロ、ユニット、コラボレーション、プロデュース作品群の方が大好きです!!
YMOに限らず、海外から日本の1980年代電子音響作品(テクノ・アイドル大好き!)に光があたるのは大変好ましいことです。
と言うのも、この国の音楽業界を支配している(?)「はっぴいえんど~YMO史観」に対して、海外からなら別な切り口で日本のポピュラー音楽史を再評価できる可能性があるからです。
(五十路になっても相変わらず「面倒かつ痛い奴」ですね、私は…)
そんな軽度のYMOアンチで、だがしかしソロ作品などは大好きな「面倒かつ痛い奴」の私が、上記番組に注目した訳、
それはスバリ、1曲目の選曲です!!!
HAROUMI HOSONO:Muji Original BGM
細野晴臣さん最初期のアンビエント作品です。
いや、素晴らしい!!!!
選曲者のAnuさんが、どのような経歴の持ち主なのかは、まったく存じ上げません。
でもでも、細野晴臣さんの数多い楽曲の中から、まずこの曲をセレクトしたセンスには脱帽です!!!!
タイトルから分かるように、この曲は発足直後の「無印良品」の店内BGM用に制作されたものです。
無印良品の店内BGM楽曲は、1984年9月発売のカセットブック『花に水』(冬樹社)として発売されています。
でも、でも、この「Original BGM」は収録されていません!!!!!
(ネット上であたかも収録されているかの如き記述が散見されますが、間違いです、残念!)
この曲が晴れてCD化されたのは2000年6月です。
無印良品の店内BGMを収録した三枚組アルバム『MUJI BGM 1980-2000』
このオムニバスアルバムのディスク!・トラック1に収録されています!!!!!!
やった~~~!!!!!!!
このCD発売以降、無印良品は店内BGMをシリーズ化し、今や20枚を超えています。
ただ、残念なことに、このアルバムは無印良品CDシリーズの中で唯一廃盤なんです(涙)
無印良品は「MUJI」ブランドとして海外展開しており、とりわけ英国での評価が高いようですね。
ただ、色々と調べてはみましたが、このCDが海外で発売されていたかどうかは分かりませんでした。
【参考】Various – BGM | 1980 - 2000@Discogs
ロンドン在住のAnuさんが、どのような経緯でこの曲の存在を知ったのか、とても興味があります。
そして、何故この曲をYMO特集の第1曲目に選んだのかも。
【補足】
細野晴臣さん一連の無印良品BGMでソフト化されている4曲
1.「Talking」(『花に水』A面)
2.「Growth」(『花に水』B面)
3.「Original BGM」(『MUJI BGM 1980-2000』収録)
4.「Talking -BGM Ver.-」(『MUJI BGM 1980-2000』収録)
【補足2】
細野晴臣さんの一連の無印良品BGMの中で最も好きなのは、『花に水』B面収録の「Growth」です。
【追記】
私が1984年当時に西武百貨店などで聞いた記憶があるのは、この曲だけです。
カセット・CD収録の他の曲を店内BGMで聞いた記憶はないんです…
TALKING カセット版 細野晴臣
梅雨入り・梅雨明け(2) [戯言(日常)]
一昨日、近畿・東海・関東甲信が「梅雨入りした」と気象庁が発表しました。
気象学上、「梅雨入り・梅雨明け」の厳密な定義がないこと、そして梅雨明けが公表されなかった年があったことは、一昨日書いた通りです。
【参考】梅雨入り・梅雨明け
さて、一昨日は夜遅くまで雨が降っていましたが、昨日・今日と晴天に恵まれました。
と、書き終わった矢先、つい今しがた、大雨が降り始めました。
う~ん、不安定な天候ですよね?
梅雨入り・梅雨明けに関して気象庁は、毎年梅雨の季節が過ぎてから改めて検討した結果を、「統計値として確定した」期日を「○月○日ごろ」と断言を避けて公開してしています。
今年の梅雨入りは昨日「6月6日ごろ」と確定されるのでしょうか?
それとも来週以降に持ち越されるのでしょうか?
まあ、不確定な要因の多い気象に、人類はこれからも振り回され続けるのでしょうかね…
気象学上、「梅雨入り・梅雨明け」の厳密な定義がないこと、そして梅雨明けが公表されなかった年があったことは、一昨日書いた通りです。
【参考】梅雨入り・梅雨明け
さて、一昨日は夜遅くまで雨が降っていましたが、昨日・今日と晴天に恵まれました。
と、書き終わった矢先、つい今しがた、大雨が降り始めました。
う~ん、不安定な天候ですよね?
梅雨入り・梅雨明けに関して気象庁は、毎年梅雨の季節が過ぎてから改めて検討した結果を、「統計値として確定した」期日を「○月○日ごろ」と断言を避けて公開してしています。
今年の梅雨入りは昨日「6月6日ごろ」と確定されるのでしょうか?
それとも来週以降に持ち越されるのでしょうか?
まあ、不確定な要因の多い気象に、人類はこれからも振り回され続けるのでしょうかね…
歴史の切断線 [戯言(歴史)]
以前書いた記事「○○年代論への疑義」において、「一桁めの数字がゼロの十年ごとに何もかもが刷新されていくというような荒唐無稽な語り口」に疑問を呈しました。
そして、歴史に大きな切断線を引くとしたら1970年よりも1973年の方がふさわしいのではないかとも指摘しました。
その大きな転換点となったと指摘したのが第1次オイルショックです。
ブレトン・ウッズ体制が終結した第2次ニクソン・ショック(1971年7月)の1年前の1970年7月から日本は景気後退期に入りました。
ただ、同年12月に底をついてから景気は上昇し「列島改造景気」と言われるほどに回復していました。
57ヶ月続いた「いざなぎ景気」は終わりましたが、高度成長が終焉したとはっきり断定できるものではありませんでした。
ところで今日、ネットで注文していた1973年初版の新書本が届きました。
黒川紀章の『都市学入門』(祥伝社)です。
この本、実は高校時代(70年代後半)に図書館で読んだことがあります。
故・黒川氏の著書の中で一番印象深かった本なのですが、どういう訳だか購入することなく今日に至りました。
最近、ちょっとした切っ掛けがあって、ぜひ手元に置いておきたいと思い、とうに絶版なったこの書をネットで購入した次第です。
さて、サブタイトルが「この東京、この列島を蘇生させる術」のこの本、大都市に人口が過度に集中することから生じる様々な危機に対して具体的な提言を行っています。
大都市圏で深刻な問題となっていた住宅問題、交通網の麻痺、環境汚染などに対して、現在の視点から見てもかなり鋭い解決策を提示しています。
でも、何だろう、オイルショックが起きた年に出版されたこの本からなんとなく漂う楽観的なムード…
ネットで注文する前の下調べで1973年発行の著書だと知っていましたから、余計に湧き上がってくる違和感…
奥付を見てみました。
「昭和48年8月25日 初版発行」
なるほどねえ!!!
第1次オイルショックの引き金となったのは、1973年10月6日に勃発した第四次中東戦争で、以後続いた中東諸国による原油価格の高騰・輸出量の制限が、先進諸国に大きな混乱をもたらしました。
8月後半発行と記されているということは、実際に発売されたのは8月前半か7月後半。
原稿が書きあがったのは遅くとも6月末と推測されます。
つまり、この年の前半は、まだ前年6月発表の日本列島改造論ブームの余韻が残っていて、まだまだ高度成長の夢を追いかけられる余地はあったということですね。
さて何が言いたいかというと、私が歴史の大きな切断線を引こうとしていた1973年は、10月の第四次中東戦争勃発の前と後とでは、時代に漂う空気とか共通感覚などに大きな違いがあったということです。
10月以降、物価は高騰し、省エネルギーが推奨され、多くの大型公共事業が凍結・縮小となるなど、その影響はただちに現れ始めました。
それまで「消費は美徳だ」と嘯いていたのに、倹約・節約が叫ばれる世の中になってしまいました。
当時中学生だった私は、田舎町の電話帳よりも数倍ぶ厚かった学習雑誌が、あっという間に薄っぺらくなったのを覚えています。
生活者としての実感としてはそうなのですが、いろいろ調べてみると、景気が悪化したことが数字上はっきりと現れてくるのは翌年から翌々年にかけてのようです。
ここでも「遅延」というのが生じているのですね。まあ、あくまでも各種統計上のことですが…
1995年も時代が大きく変わった節目の年であったと、よく指摘されます。
この1995年、は阪神・淡路大震災が1月、地下鉄サリン事件は3月と、二大転換点とされる出来事が新年度が始まる前の早い時期でありましたし、テレビを中心としたマスメディアのリアルタイムな速報性が高まっていたことも相まって、時代の切断線を引くのにあまり違和感はありません。
だからこそ、と言うべきなのか、比較すると、1973年に切断線を引くのは、その年の4分の3を占める期間のムードを考慮すると、なんとなく違和感を抱いてしまうのですよ。
そして、歴史に大きな切断線を引くとしたら1970年よりも1973年の方がふさわしいのではないかとも指摘しました。
その大きな転換点となったと指摘したのが第1次オイルショックです。
ブレトン・ウッズ体制が終結した第2次ニクソン・ショック(1971年7月)の1年前の1970年7月から日本は景気後退期に入りました。
ただ、同年12月に底をついてから景気は上昇し「列島改造景気」と言われるほどに回復していました。
57ヶ月続いた「いざなぎ景気」は終わりましたが、高度成長が終焉したとはっきり断定できるものではありませんでした。
ところで今日、ネットで注文していた1973年初版の新書本が届きました。
黒川紀章の『都市学入門』(祥伝社)です。
この本、実は高校時代(70年代後半)に図書館で読んだことがあります。
故・黒川氏の著書の中で一番印象深かった本なのですが、どういう訳だか購入することなく今日に至りました。
最近、ちょっとした切っ掛けがあって、ぜひ手元に置いておきたいと思い、とうに絶版なったこの書をネットで購入した次第です。
さて、サブタイトルが「この東京、この列島を蘇生させる術」のこの本、大都市に人口が過度に集中することから生じる様々な危機に対して具体的な提言を行っています。
大都市圏で深刻な問題となっていた住宅問題、交通網の麻痺、環境汚染などに対して、現在の視点から見てもかなり鋭い解決策を提示しています。
でも、何だろう、オイルショックが起きた年に出版されたこの本からなんとなく漂う楽観的なムード…
ネットで注文する前の下調べで1973年発行の著書だと知っていましたから、余計に湧き上がってくる違和感…
奥付を見てみました。
「昭和48年8月25日 初版発行」
なるほどねえ!!!
第1次オイルショックの引き金となったのは、1973年10月6日に勃発した第四次中東戦争で、以後続いた中東諸国による原油価格の高騰・輸出量の制限が、先進諸国に大きな混乱をもたらしました。
8月後半発行と記されているということは、実際に発売されたのは8月前半か7月後半。
原稿が書きあがったのは遅くとも6月末と推測されます。
つまり、この年の前半は、まだ前年6月発表の日本列島改造論ブームの余韻が残っていて、まだまだ高度成長の夢を追いかけられる余地はあったということですね。
さて何が言いたいかというと、私が歴史の大きな切断線を引こうとしていた1973年は、10月の第四次中東戦争勃発の前と後とでは、時代に漂う空気とか共通感覚などに大きな違いがあったということです。
10月以降、物価は高騰し、省エネルギーが推奨され、多くの大型公共事業が凍結・縮小となるなど、その影響はただちに現れ始めました。
それまで「消費は美徳だ」と嘯いていたのに、倹約・節約が叫ばれる世の中になってしまいました。
当時中学生だった私は、田舎町の電話帳よりも数倍ぶ厚かった学習雑誌が、あっという間に薄っぺらくなったのを覚えています。
生活者としての実感としてはそうなのですが、いろいろ調べてみると、景気が悪化したことが数字上はっきりと現れてくるのは翌年から翌々年にかけてのようです。
ここでも「遅延」というのが生じているのですね。まあ、あくまでも各種統計上のことですが…
1995年も時代が大きく変わった節目の年であったと、よく指摘されます。
この1995年、は阪神・淡路大震災が1月、地下鉄サリン事件は3月と、二大転換点とされる出来事が新年度が始まる前の早い時期でありましたし、テレビを中心としたマスメディアのリアルタイムな速報性が高まっていたことも相まって、時代の切断線を引くのにあまり違和感はありません。
だからこそ、と言うべきなのか、比較すると、1973年に切断線を引くのは、その年の4分の3を占める期間のムードを考慮すると、なんとなく違和感を抱いてしまうのですよ。
梅雨入り・梅雨明け [戯言(日常)]
本日、近畿・東海・関東甲信は梅雨入りしました。
正確には、「「本日梅雨入りした」と気象庁が発表しました。」と書くべきでしょうか?
【参考】近畿、東海、関東甲信 梅雨入り
なんでも、「春から夏に移行する過程で、その前後の時期と比べて雨が多くなり、日照が少なくなる季節現象」を「梅雨」と称していますが、いつ「梅雨入り」「梅雨明け」したかについて、気象学的に厳密な定義はないそうです。
確か1983年だった思いますが、「梅雨明け宣言」した翌日に全国的な暴風雨に見舞われたことがありました。
だからなのか、近年は「梅雨明けした模様」と断定を避けるようになっていますね。
気象庁の公式サイトでは、梅雨の季節が過ぎてから改めて検討した結果、「統計値として確定した」期日を公開していますが、そこでも「○月○日ごろ」と断定を避けています。
【参考】昭和26年(1951年)以降の梅雨入りと梅雨明け(確定値):関東甲信
上記リンク先では、なんと1993年の梅雨明けは「-」となっています!
この年は統計値として梅雨明けの期日を確定できなかったということでしょうか?
【参考】得するお天気トリビア Vol.4 梅雨が明けなかった年とは?
1993年は「8月になっても梅雨前線が日本列島に停滞して豪雨と低温をもたらし」、米が不作となりタイなどから緊急輸入した年でした。
「○月○日ごろ」と幅を持たせた期日すら確定できなかった年があったということですね。
正確には、「「本日梅雨入りした」と気象庁が発表しました。」と書くべきでしょうか?
【参考】近畿、東海、関東甲信 梅雨入り
なんでも、「春から夏に移行する過程で、その前後の時期と比べて雨が多くなり、日照が少なくなる季節現象」を「梅雨」と称していますが、いつ「梅雨入り」「梅雨明け」したかについて、気象学的に厳密な定義はないそうです。
確か1983年だった思いますが、「梅雨明け宣言」した翌日に全国的な暴風雨に見舞われたことがありました。
だからなのか、近年は「梅雨明けした模様」と断定を避けるようになっていますね。
気象庁の公式サイトでは、梅雨の季節が過ぎてから改めて検討した結果、「統計値として確定した」期日を公開していますが、そこでも「○月○日ごろ」と断定を避けています。
【参考】昭和26年(1951年)以降の梅雨入りと梅雨明け(確定値):関東甲信
上記リンク先では、なんと1993年の梅雨明けは「-」となっています!
この年は統計値として梅雨明けの期日を確定できなかったということでしょうか?
【参考】得するお天気トリビア Vol.4 梅雨が明けなかった年とは?
1993年は「8月になっても梅雨前線が日本列島に停滞して豪雨と低温をもたらし」、米が不作となりタイなどから緊急輸入した年でした。
「○月○日ごろ」と幅を持たせた期日すら確定できなかった年があったということですね。
「唐入り」についての私見 [戯言(歴史)]
某SNSの投稿で充分説明できなかったことを、この場を借りて補足説明します。
発端は、島津・大友・立花・小西・小早川など西国の武将・大名を主人公とした大河ドラマが何故作られないのかという問いかけ。
これに対する私の答え:「「唐入り」で武功をあげた西国の武将を主役とするのはNHK的にNGだから。」
つい最近も、第二次世界大戦終了時点でまだ存在しない国を日本が「侵略」したと生放送で局アナが発言するほど、朝鮮半島に対するNHKの「忖度」というのは目に余るものがあります。
まあ、それはともかく、文禄と慶長の二度の「唐入り」の大きな違いの一つとして私が指摘したいのは、「小早川隆景」の存在・不在の違い。
文禄の役では、小西行長の停戦合意以降、李舜臣率いる水軍に制海権を握られ、戦局が不利になった西国武将たち率いる連合軍。
漢城(今のソウル)を死守すべきか否かで意見が大きく分かれたのを、「攻撃する振りして撤退」と進言したしたのが、病身の隆景。
その後の撤退戦において、乱れがちな統率をなんとか堅持して、本国へと帰還させた智将ぶりは、評価されてしかるべきでしょう。
さて、慶長の役。
まず、文禄の役で朝鮮半島を統治することのリスクの大きさ・コストの高さの身に染みて知った西国の諸将たち。
折角、秀吉の天下統一により平和が戻り「豊かな社会」が実現できるかと思いきや、不慣れな海外戦線に駆り出され、領地は荒廃。
初めからなんとなく漂う厭戦モード。
この戦の総大将は隆景の養子・小早川秀秋。
なんたる皮肉なめぐり合わせ。
隆景はと言えば、参戦することなく開戦の年(1592年)6月に死を迎えます。
黒田官兵衛が軍監として秀秋らを補佐したとは言え、大局に立って戦況を判断し的確に行動に移せる智将・小早川隆景の不在。
嗚呼、この「大いなる不在」よ…
注記:基本、過去の戦争、それも数世紀も前もの戦役を、現代の倫理観でのみ評価してはならないと考えております。
発端は、島津・大友・立花・小西・小早川など西国の武将・大名を主人公とした大河ドラマが何故作られないのかという問いかけ。
これに対する私の答え:「「唐入り」で武功をあげた西国の武将を主役とするのはNHK的にNGだから。」
つい最近も、第二次世界大戦終了時点でまだ存在しない国を日本が「侵略」したと生放送で局アナが発言するほど、朝鮮半島に対するNHKの「忖度」というのは目に余るものがあります。
まあ、それはともかく、文禄と慶長の二度の「唐入り」の大きな違いの一つとして私が指摘したいのは、「小早川隆景」の存在・不在の違い。
文禄の役では、小西行長の停戦合意以降、李舜臣率いる水軍に制海権を握られ、戦局が不利になった西国武将たち率いる連合軍。
漢城(今のソウル)を死守すべきか否かで意見が大きく分かれたのを、「攻撃する振りして撤退」と進言したしたのが、病身の隆景。
その後の撤退戦において、乱れがちな統率をなんとか堅持して、本国へと帰還させた智将ぶりは、評価されてしかるべきでしょう。
さて、慶長の役。
まず、文禄の役で朝鮮半島を統治することのリスクの大きさ・コストの高さの身に染みて知った西国の諸将たち。
折角、秀吉の天下統一により平和が戻り「豊かな社会」が実現できるかと思いきや、不慣れな海外戦線に駆り出され、領地は荒廃。
初めからなんとなく漂う厭戦モード。
この戦の総大将は隆景の養子・小早川秀秋。
なんたる皮肉なめぐり合わせ。
隆景はと言えば、参戦することなく開戦の年(1592年)6月に死を迎えます。
黒田官兵衛が軍監として秀秋らを補佐したとは言え、大局に立って戦況を判断し的確に行動に移せる智将・小早川隆景の不在。
嗚呼、この「大いなる不在」よ…
注記:基本、過去の戦争、それも数世紀も前もの戦役を、現代の倫理観でのみ評価してはならないと考えております。
改善の余地 [戯言(日常)]
仕事関係のお話しなので詳細は書けません。
所属部署に移管されたいくつかの仕事を引き継ぐことになりました。
前任者が作成したマニュアルを拝読。
うーん、無駄が多いな、と言うのが正直な感想。
一例だけ挙げると、検索機能使えば簡単に分かることを、いちいち数え上げて調べている。
とりあえず今回は原則マニュアル通りに作業していきますが、次からは効率上げるために「改善」していきます。
所属部署に移管されたいくつかの仕事を引き継ぐことになりました。
前任者が作成したマニュアルを拝読。
うーん、無駄が多いな、と言うのが正直な感想。
一例だけ挙げると、検索機能使えば簡単に分かることを、いちいち数え上げて調べている。
とりあえず今回は原則マニュアル通りに作業していきますが、次からは効率上げるために「改善」していきます。
眠り [戯言(日常)]
最近の最大の悩み。
それは椅子に座ったまま、朝まで眠っていること…
部屋の片隅の布団までたどり着くこともなく、椅子に座ったまま、朝まで眠りこけている。
PCの作業が一段落ついて、ほっとしている時に、眠っているらしい。
快適な睡眠場所を確保するよち、PCであれこれ作業する方が重要なんです。
察して下さい…
それは椅子に座ったまま、朝まで眠っていること…
部屋の片隅の布団までたどり着くこともなく、椅子に座ったまま、朝まで眠りこけている。
PCの作業が一段落ついて、ほっとしている時に、眠っているらしい。
快適な睡眠場所を確保するよち、PCであれこれ作業する方が重要なんです。
察して下さい…
タグ:睡眠
本を捨てる夢 [戯言(日常)]
つい今しがた目覚める直前まで見ていた夢。
あまりにも心に突き刺さる内容だったので、ここに記します。
私のブログを読んでファンになったという若者達数人が、2階建ての貸家に訪れてきました。
なんでも「本の読み方」を教わりたいと。
最初は数人相手だったのに回を重ねるごとに増えてきて、とうとう家に入りきれなくなってしまった。
そこで私がとった行動。
それは溜め込んだ本を捨てること。
まずは2階の書棚から階段下に向かって、片っ端から本を投げ捨てた。
「いらない本ならもらっていってもいいんですか?」との問いに、「ああ、いいよ!」
若者達は大喜びで投げ捨てた本を持っていく。
若者達がケータイで呼んだ友人たちが大勢やって来て、本をどんどん持っていく。
結局残ったのは書棚1つ分の本だけ。
「だったら、こんな広い家は必要なないな」と引越しを考え始める私。
そこで目が覚めました。
記憶に強く残っているのは、磯崎新著作集と磯崎新建築論集を残したことに対して、「普段あんなに批判しているのに…」と非難されたこと。
たしか「この人の建築は中庸過ぎてつまらないが、文章は示唆に富む」と、現実に思っていることと正反対のことを言ったこと。
さて、目覚めて思ったこと。
「夢で見たほど徹底する必要はないけど、本当に自分の思考の糧になるものだけ残して、それ以外は思い切って処分しよう…」
あと、夢の中にCDは一枚も登場しませんでした。
あまりにも心に突き刺さる内容だったので、ここに記します。
私のブログを読んでファンになったという若者達数人が、2階建ての貸家に訪れてきました。
なんでも「本の読み方」を教わりたいと。
最初は数人相手だったのに回を重ねるごとに増えてきて、とうとう家に入りきれなくなってしまった。
そこで私がとった行動。
それは溜め込んだ本を捨てること。
まずは2階の書棚から階段下に向かって、片っ端から本を投げ捨てた。
「いらない本ならもらっていってもいいんですか?」との問いに、「ああ、いいよ!」
若者達は大喜びで投げ捨てた本を持っていく。
若者達がケータイで呼んだ友人たちが大勢やって来て、本をどんどん持っていく。
結局残ったのは書棚1つ分の本だけ。
「だったら、こんな広い家は必要なないな」と引越しを考え始める私。
そこで目が覚めました。
記憶に強く残っているのは、磯崎新著作集と磯崎新建築論集を残したことに対して、「普段あんなに批判しているのに…」と非難されたこと。
たしか「この人の建築は中庸過ぎてつまらないが、文章は示唆に富む」と、現実に思っていることと正反対のことを言ったこと。
さて、目覚めて思ったこと。
「夢で見たほど徹底する必要はないけど、本当に自分の思考の糧になるものだけ残して、それ以外は思い切って処分しよう…」
あと、夢の中にCDは一枚も登場しませんでした。
第326回三原どうでしょう鑑賞記録(簡略版) [三原どうでしょう鑑賞記録 2018年5月~12月]
第326回三原どうでしょう 最強ガールズバンド降臨SP 2018/05/21
*ガールズバンド ムーディ・エンジェルズ結成(第326回)抜粋
*この回は「アポなしゲスト乱入」により、テキスト化が困難ですので、
概要だけ抜書きしました。
MC:
グラハムさん(お休み?)
コニケンさん
タカポンさん
ゲスト:
ガールズバンド ムーディ・エンジェルズの皆さん
「喜助栗助よもやま噺」より 、喜助さん、栗助さん、アデージョさん
イトク食品(株)社長
・前口上:なし
・コニケンさんギリギリ遅刻
・先週の出来事:
タカポンさん:先週の放送、エコーか掛かり過ぎ?
コニケンさん:久しぶりにパチンコに行ったら翌朝肩が痛かった
*ここで、グラハムさんの代理人I氏登場!
・タカポンさん:来週から地元大学生がスタッフとして参加します
・視聴者の書込み紹介:ECCさん、MCCさん「こんばんは」
・どうでしょうニュース:〔メインMC:タカポンさん〕
1.シェフのきまぐれサラダはどれぐらい気まぐれなのか?
2.西城秀樹さん追悼
3.平成続投!
法律上、和号を使用する行政がシステム上継続して使用
*ムーディー・エンジェルズ(Moody Angels)さん登場!
・バンド紹介概要
ギター・ベース・ドラムス・ボーカルの4人編成
結成:今年4月20日ごろ
飲めないギタリスト&ベーシストがバーでウーロン茶のみながら
「バンドやろうね!」と意気投合
SCANDALの曲をカバーしている
*ここで尾道からアポなしゲストが大勢乱入
*ムーディー・エンジェルズさん:ライブ告知
6月9日 ROCK MUSIC FAIR
尾道 OYE COMO VA
チケット:千円 ワンドリンク付き
・視聴者の書込み紹介:
MCCさん:今夜は別嬪さんばっかりね!
STNさん:ボーカルさんは歌が上手いね!
*喜助さん&栗助さん登場
さっきまで三原のおでん屋で飲んでいた
・喜助さん、内田監督の映画作品を誉める
喜助さん:「どこかで見たことのある三人が出ている 驚いた」
⇒タカポンさん:「僕たち三人は俳優です!」
・尾道映画祭実行委員長の喜助さんトーク;
「ああゆう(演技の軽い)役者を使うな!」
・タカポンさん:番組を長く続けるとマンネリ?
マンネリを打破したい!
*食べログの女王・アデージョさん登場
・「三原どうでもいいでしょう vs 尾道どうでしょう」談義
*イトク食品(株)社長登場
・蒸し生姜食品と効能紹介
*番組終了前のお別れ挨拶
*関連リンク集
・喜助栗助よもやま噺
・OYE COMO VA@尾道
・イトク食品
*ガールズバンド ムーディ・エンジェルズ結成(第326回)抜粋
*この回は「アポなしゲスト乱入」により、テキスト化が困難ですので、
概要だけ抜書きしました。
MC:
グラハムさん(お休み?)
コニケンさん
タカポンさん
ゲスト:
ガールズバンド ムーディ・エンジェルズの皆さん
「喜助栗助よもやま噺」より 、喜助さん、栗助さん、アデージョさん
イトク食品(株)社長
・前口上:なし
・コニケンさんギリギリ遅刻
・先週の出来事:
タカポンさん:先週の放送、エコーか掛かり過ぎ?
コニケンさん:久しぶりにパチンコに行ったら翌朝肩が痛かった
*ここで、グラハムさんの代理人I氏登場!
・タカポンさん:来週から地元大学生がスタッフとして参加します
・視聴者の書込み紹介:ECCさん、MCCさん「こんばんは」
・どうでしょうニュース:〔メインMC:タカポンさん〕
1.シェフのきまぐれサラダはどれぐらい気まぐれなのか?
2.西城秀樹さん追悼
3.平成続投!
法律上、和号を使用する行政がシステム上継続して使用
*ムーディー・エンジェルズ(Moody Angels)さん登場!
・バンド紹介概要
ギター・ベース・ドラムス・ボーカルの4人編成
結成:今年4月20日ごろ
飲めないギタリスト&ベーシストがバーでウーロン茶のみながら
「バンドやろうね!」と意気投合
SCANDALの曲をカバーしている
*ここで尾道からアポなしゲストが大勢乱入
*ムーディー・エンジェルズさん:ライブ告知
6月9日 ROCK MUSIC FAIR
尾道 OYE COMO VA
チケット:千円 ワンドリンク付き
・視聴者の書込み紹介:
MCCさん:今夜は別嬪さんばっかりね!
STNさん:ボーカルさんは歌が上手いね!
*喜助さん&栗助さん登場
さっきまで三原のおでん屋で飲んでいた
・喜助さん、内田監督の映画作品を誉める
喜助さん:「どこかで見たことのある三人が出ている 驚いた」
⇒タカポンさん:「僕たち三人は俳優です!」
・尾道映画祭実行委員長の喜助さんトーク;
「ああゆう(演技の軽い)役者を使うな!」
・タカポンさん:番組を長く続けるとマンネリ?
マンネリを打破したい!
*食べログの女王・アデージョさん登場
・「三原どうでもいいでしょう vs 尾道どうでしょう」談義
*イトク食品(株)社長登場
・蒸し生姜食品と効能紹介
*番組終了前のお別れ挨拶
*関連リンク集
・喜助栗助よもやま噺
・OYE COMO VA@尾道
・イトク食品